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実行する時に「気をつけろ」というのは意味が無い。気をつけなくても良くするためにシステム開発をする。

カテゴリ:システム考
タグ: システム開発 
更新日:2013-05-07
> 「気をつけろ!」は意味が無い - fintopo

だからたぶん、彼らは、「気をつけない」

「気をつける」のは、やる時じゃないのだ。
「やる前」に気をつけて、準備して、そうして、やる時には気をつけなくてもよくする。

そういう、準備や、環境や、訓練が「気をつけろ」ということじゃないのだろうか?


これについて、もう少し考えてみる。

これを書いた時には、気をつけなくてもいいように準備をしておけ、というつもりだった。
それでも、「気をつけろ」と言いたくなることは、あるんだよなぁ。

「準備」には、「訓練」も含まれるからだ。
訓練というと大げさに聞こえるかもしれないけど、間違いが起こらないように行動を変えること、かな。
これを他人に伝えたいときに「気をつけろ」と言いたくなる。

だけど、この記事を書いてから、言ってもダメだということに気がついた。
であれば、言いたくなる時には、どうしたらいいのだろう?

> 温泉の注意書きに学ぶ「伝わる」メッセージのために覚えておきたいこと - 頭ん中

誰の視点からの言葉か
中に入って掃除をする人に注意喚起するなら

下が「低く」なってるから気をつけてね

入浴客に向けて言うなら

底が「深く」なってるから気をつけてね

同じ形状について注意を促すにも、
誰に向けて言うかで表現は変わりますね。

自分にとって、ある言葉で表されるものが
他の人には別の言葉でないと伝わらない
という状態があることを意識しておくと
少しだけ工夫できるかもしれないな、と思ったので
忘れないように書いておきました。


最初にこれを読んだ時に、私は「甘い」と思ったのだよね。「気をつけて」という言葉が使われているから。だけど、ヒントはあると思う。「視点」に注目していることだ。

気をつけて欲しい人の視点に立って、その人が気をつけることを意識付けられればいい。

何を気をつけるのか。
具体的には、どのように気をつけるのか。
そして、気をつけないとどうなるのか。

そういったことを明らかにすればいいんじゃなかろうか。


私のようなIT技術者は、頭脳労働だから毎回同じ事をしない。これは、事務職とか、ホワイトカラーと呼ばれるような仕事では、わりとそうだろう。定型ルーチンはあるけれど、それだって「判断」や「決断」が含まれていたりする。

件の大工や料理人は、文字通り「手に職」な職人の話なんで「体で覚える」ことが多い。こういう仕事は、手順の中に「判断」が含まれない。工員のようなブルーカラー系の仕事もわりとそう。工場でも5Sとかで整理整頓を言うのは、大工や料理人と同じ事。

「判断」が含まれないから、使った道具を元に戻す、ということができる。その道具を使う状況、目的、意味が明確になっているからだ。もちろん、使う前には考えるだろう。でも、考える時と実行する時は、わりと明確に分かれている。

頭脳労働って、そのあたりが混在しているんだよね。毎回、すこしずつ違うことをする。そして、「決断」が含まれると、結果が出るまでにタイムラグもある。わりとはっきりとした終わりがないんだよね。だから、「片付け」のような様式が身につかない。片付けてしまっては、再開が難しくなるからだ。そして、いつまでもトラブルが出る。

それでも、ルーチンワークというのが無いわけじゃない。私だと、サーバーのプログラムを更新するとか。こういう仕事には、チェックリストが有効だと言われている。

まぁ、チェックリストの作り方にもよるけれど、記憶に頼らない、というのが重要。頭脳労働が片付けてしまうと再開が難しいのは、記憶に頼るからだよね。頭脳労働にとって「片付け」とは、一旦忘れるということを意味する。「再開」は思い出すことになるんだけど、これが難しい。時間がかかったり、抜けがあったり。チェックリストは、これを補完してくれる。

ならば、「チェックリストを作る(修正を含む)」が、頭脳労働にとっての「片付け」なんじゃないだろうか?「次の仕事で使える道具を残していく」ということが、頭脳労働にとっての本当の「片付け」なんじゃないだろうか?これって広義の意味で「システム開発」だよね。

狭義の意味でのコンピュータを使ったシステム開発では、「自動化」が期待される。

コンピュータシステムが最初に導入されたのは、請求書の発行のような判断力の必要のない定型業務からだった。だけど、処理能力が上がって、情報系と呼ばれる非定型の業務でも使えるようになった。さらには、ある程度の判断力を期待できるようになってきた。ググった時の検索順位が期待通りになるとか、迷惑メールの排除とか。ある程度の判断力を得るために、ソーシャルネットワークを使う手法も出てきた。

それでも、完全な自動化には程遠い。それが好ましいとも思わない。完全に自動化できたら、人間は何をするんだ?いや、逆か。人間が人間である限り、完全に自動化はありえない。

ならば、コンピュータシステムが目指すのは、実は自動化じゃないのではないか?

サーバーのプログラム更新の自動化とは、毎回コマンドやアプリを操作してFTPでアップロードするというのではなく、バッチファイルを実行するだけでいい、みたいなことだろう。バッチファイルを作っておくのが、準備であり、次に使う時のための片付けになる。

そうして自動化ができれば、気をつけなくなる。実行するかどうかの判断は必要になるかもしれないが、実行中に気をつけることはなくなる。そうしてようやっと、考える時と実行する時を分離できる。

考える時と実行する時を分離する。人間の判断や決断を要するポイントを抽出し、気をつけなくていいことに気を回さなくても良くすること。それがコンピュータシステムの目指す所ではないだろうか?
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プロフィール

いむら@fintopo いむら@fintopo

フリーのシステムエンジニア兼プログラマです。趣味はガーデニングとカメラ。2017年4月にα7IIを買いました。フルサイズ一眼初心者です。

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